「…………っ」
団員に支給された簡易な部屋の一角。カーテンに囲われたその中で、幸福は小さく息を詰めた。左腕に滑らせたナイフはその鋭い刀身で肉を裂き、赤い液体を浮かび上がらせては肘に集まって下に落ちていく。ぴちょん、ぴちょん、と雫が滴っていく受け皿には既に幾分かの血が溜まっていた。
勿論幸福に自虐の趣味はない。痛みに興奮を覚えることもなければ、血を見ることが好きなわけではないし、ましてや死にたいわけでは断じてない。
端から見れば異常以外の何物でもないであろうこの行為は、幸福が生まれ持った能力の為のものである。
正直、この能力は不便過ぎる上に非道徳的だ。異能に困ったことはあれど、助けられた例が殆どない。彼の護衛をと任されたGCであるエスパーと、パーティーに偵察へ赴いた時もそうだった。
自分の異能が彼のように、エネルギーを具現化して使えるものならばどれだけ良かったか。あそこで逃げずに、もっと上手く事を運べたかもしれない。彼を庇う為とはいえ、服を台無しにしてしまったのも安物と呼べない代物だけに気にやむ。
これまでにもそういう事が沢山あった。死体なんて何処にでも持ち運べる物じゃない。運よくその辺に転がっているものでもない。
これから永久機関との抗争が激化するかもしれない。いや、偵察に行って広い集めた情報をまとめるならば、必ずそう遠くない未来にぶつかる事になる。
大切に想う人だっている。その時に、自分はこの身一つで大丈夫だろうか。護れるだろうか。役に立てるのだろうか──
「ガウッ!」
突然耳元で咆哮がなる。驚くと同時に漸く我にかえった幸福は、自らつけた傷が思ったより深く、血が止まってないことに気付く。傍らに居てくれた絲毫が、不審に面って呼び覚ましてくれたのだろう。慌てて用意していた包帯をキツく結び、止血する。
謝々、と苦笑いしながら絲毫の頭を撫でてやれば、ぐりぐりと頭を押し付けてきた。虎であるのに人間の心の機微に敏感な絲毫に、何度助けられたかわからない。
血が止まったのを確認して袖を通し、筆をとった。皿に溜まった血にその先をつけて、真っ白な紙に文字を認めていく。
使い勝手が悪くても、生まれもった自分の異能だ。こればかりはどうしようもない。ならば極めようじゃないか。非道と言われようが、気味が悪いと言われようが。それで大好きな人を護れるのなら、なんてことはない。
数十枚の札を作成し、残った血に糸を放る。次は死体の縫合だ。
そっと顔を上げてホルマリンに眠る死体を見つめた。
それは、意味もなく綺麗だった。
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